「あたしおかあさんだから」雑感…愛の自己犠牲は家族内でループするんだぜって話

母親

「あたしおかあさんだから」って歌が炎上していると聞いて、まぁ実際に聴いてみました。

個人的にはなんでこれが炎上するのかサッパリわかりませんし、そもそもこれに対してギャーギャー言うのもよくわかりません…。

人は人、よそはよそ、自分は自分、ではダメなのでしょうか?

実際に僕自身も完璧な父親・夫を目指していた時期がありましたが、確かに疲れてしまった経験があります。それでもやっぱりこれを聴いても「ああ、良い歌だね」としか思いません。

愛の自己犠牲はループすると僕は思っているからです。ループしなければ、放置された人が死にます。

誰だって一人で生きていく事は出来ないんですよ。最初に迷惑をかけて、死ぬ前にも迷惑をかけるんです。それが幸せな人生だと僕は思っています。

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完璧な父親になろうとした

僕も完璧な父親を目指しました。

結婚して子供が生まれてから収入が激減して、生活がヤバイ事になったのもあり、僕は子供が生まれてから自分の趣味なんてほとんど楽しむ余裕はありませんでした。

サッカーの試合を見る事はありましたが、それぐらいですね…本当にそれ以外の時間はほとんど仕事と家族のみで過ごしていました。

僕の場合はデキ婚なので、妻に対する責任、娘に対する責任、そして妻の親への責任を常に考えて行動していたのもあります。

人様の娘を不幸にするわけにはいかないし、人様の孫を不幸にするわけにはいかない。

タバコも辞めましたし、最初は「夜中に子供に何かあってはいけない」と一切お酒も飲みませんでした。いつでも車で病院に行けるようにです。実際に救急病院に駆け込んで、そのまま子供が入院した事もありました。

完璧な親を目指し、完璧な夫を目指し、家事を手伝い、子供と毎日遊び、家で完結する仕事を選択し、毎日子供と散歩し、毎日子供に何かしようと、必死に頑張ってた時期もありました。

いざ親になるとそれぐらい気負ってしまうものである

少なくとも僕はそうでした。

親になるんだから、好きな食べ物も全部娘に食べさせてあげようとか、アイスあげようとか、美味しいものを食べる時はまず娘にあげようとか。

自分の服は買わないけど子供のは買うとか、そんなのばかりでした。だから妻にも随分苦労させてしまいました。

特に妻の両親が自己犠牲の塊みたいな人達で「いや俺は良いから」「私は良いから」ばかりを揃って言うんですよね。

それを見て「あーやっぱ親ってこういう人達の事を言うんだな」って強く感じました。特に自分の親との落差をそこで見てしまったんですね。

何もかも子供が優先、確かに僕はそんな風にはなれませんが「なれたらカッコイイ」と強烈な憧れを持ちました。

だからこそ「少しでも俺もやれるようにしよう!( ー`дー´)キリッ」とめっちゃ気負って生きて来ました(笑)

どこかで折り合いをつければ良い

うちの娘も、もうすぐ小学4年生です。とうとう反抗期に入り始めて、初めて僕に反抗までしました。

イラッとはするものの「ああ、大きくなったぁ」と心から思って、僕はその時点で「彼女はもう自分で物を考えれる一人の人間、子供扱いは止めよう」と思いました。

だからアレコレ指図をするのを止めましたし、基本放置をするのみにしました。これまで何度も「何故勉強するのか」「何故沢山遊んだ方が良いのか」「何故好きな事を作った方が良いのか」僕は散々彼女に言って来ました。

だから「何でもやってあげる良いパパ」であろうとする事を止めました。

後はもう金だけ出してくれるオヤジで良いじゃんって思ったんです。

学費は出してやる、やりたい事があるなら留学費でも何でも出してやる。だけどもう無理に一緒に遊ぶ必要はない、彼女はもう大きくなったから。金は出すけど「目標があるなら良いんじゃね」って言う、うるせぇオヤジです(笑)

もうそれで良いかなと、完璧な父親を目指す必要なんてない。色々やりすぎてもダメだし、放置しすぎてもダメだけど、僕は彼女の自主性に任せて基本放置しようと思ったんです。だって彼女の人生だからね。

「良いお父さんでいようと頑張る」ってのは今も変わらない。出来れば理解のあるオヤジでいたいです。でもそれで総てを自己犠牲するつもりはない。

でも幼少期は自己犠牲しても良いと思う

もちろん「母親だけがやれ」「父親だけがやれ」なんて思いません。お互いに自己犠牲して、お互いに子供のために頑張って、たまに夫婦で息抜きをして、助け合って頑張れば良い。

でも最初はやっぱり自己犠牲がつきもの、だって赤ちゃんの頃なんてそんなもんでしょう。僕は4歳を超えるぐらいまではお酒を自粛してた気がします。少なくとも夫婦が同時に飲む事はなかった。

でもそれを辛いとかは思わなかったし、むしろ「あーちょっと今、俺パパっぽいな」としか思ってなかった。妻を見ても同じですよね。

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誰もが良い親である必要は別に無い

ただこれを人に強要する気はない。人は人、僕は僕です。

僕はピッコロさんみたいに弟子をかばって死ぬ師匠を憧れとしています。あれこそ自己犠牲の塊じゃないですか(笑)

だから僕はそういう「父親像」に憧れているので、そうしたいだけ。他の人がどうだろうと知ったこっちゃないので…子供の目の前でタバコを吸う人も好きにすれば良いんじゃないのと、僕の子供じゃないんで、関係ないです。

もちろん自分のためにたくさんお金を使っても良いし、ましてや息抜きなんて絶対するべきですし、誰もがそんな事をする必要なんてないんですよ。よそはよそ、うちはうちです。

例えば仮に歌番組でこういう歌が流れていようと、流れていまいと、子供は他の家の両親を見て自分の家と比較しますから、いずれは子供に言われる事に変わりはないけどね。

誰だって何かと比較するものです。だから無邪気に「どうしてあそこの家では○○なのに、うちでは○○なの?」って言われるものなんですよ。

僕はそういう時は「人は人、うちはうちだからねぇ…」としか言いません。だって実際にそうだから「全員が一緒である必要はない」って事は常に家族に言っています。

たかが歌に文句をつける人が増えてる事が怖い

歌は確かに良いものです。僕も歌は大好きです、三浦大知さんも大好きです。

ですがしょせんはただの歌です。

少なくとも「歌が気に入らない!」「なんだこの歌詞は!自己犠牲を強いている!」なんてギャーギャー騒ぐもんじゃないと思うし、それで作詞家や歌手が謝罪するとか、異常としか思えません。

正直「知らんがな」としか思わないし、それで怒ってる人が恐ろしいです。

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愛情の自己犠牲はループする…しないといけない

実際に昔からそういう親がいたから「こういう人達凄いよね」ってだけの話だと思うし、実際親がそんな事をしてたら「まぁまぁ、今度は俺の番だから、俺がやったるで」となるもんです。

僕は祖母の介護をしている時に、それを実際に言っていました。

この時の祖母はもう亡くなってしまいましたが、本当にガキの頃に散々良くしてもらったから「今度は俺が婆さんに返す番だな!」と思って僕はやってました。思えば始まったのは23~24歳ぐらいだった気がします。

でも家族が介護が必要になったらやるしかない。それは確かに自己犠牲かも知れないけど、僕は子供の頃に親にやらせてる、そしてオヤジは「お前しかおらんから、頼んだ」と遺言を残して早々に死んでしまったから、まぁ僕がやるしかなかったんですよ(笑)

本当は親に迷惑をかけて育ち、その分を子供に与えて、更に次は親に直接恩返して、最後にまた子供に返してもらう…という愛情のループだと当時思ってたんですけどね。

「親に自己犠牲してもらってまで生まれたくない」って発言もあったそうで、それもわからんでもないんですが、無理なんですよ迷惑かけずに育つなんて(笑)

生きてるだけで迷惑かけまくりですよ。でもそれで良いんです、世話をするのが幸せなんですよ。

幸せでしたよ、オムツ変えるのも、ママに怒られて泣いてる所を一緒にお風呂入ってあやすのも、歩きたくないって言ってる娘を抱きかかえて帰るのも、大変だったけど幸せでしたよ。

僕みたいなロクデナシを、理屈なしで頼ってくれるのが娘でしたから、本当に幸せでした。もう半分巣立ち始めております、女の子の成長はええええええ!(笑)もう泣いて抱きついて来る事はないのかああああ!精神的には甘えてくれて良いのよおおお!

もちろん繰り返しますが、自己犠牲したくない人はしなくて良いと思います。貴方の人生ですから好きに生きましょう!!

僕も程々にクズっぷりを発揮しつつ、たまに良い父親になれば良いかなー?って思ってます。やっぱ一度の人生楽しまなきゃ損ですよね。

でもやっぱどこかで「自分…親(息子)ですから…」と、自己犠牲を発揮しなくてはいけない日が来るよねと。家族がいるってそういう事だと思ってます。家族がいない人は発揮しなくて良いけどね。

でもそうしておけば、死ぬ直前に孫や子供が見舞いに来てくれる最後が迎えられるんじゃないでしょうか?

知らんけど。